ミュージアムの広報・マーケティングに役立つ情報を | Voice of Museums

AIと人文科学の可能性 | アルゴリズム思考とセンスメイキング

2019年5月29日に立教大学で開催された公開シンポジウム「AI時代におけるAIと人文科学の可能性」を聞きに行ってきました。

スピーカーは「センスメイキング 本当に重要なものを見極める力」の著者クリスチャン・マスビアウ氏。ReD アソシエーツ創業者、同社ニューヨーク支社ディレクターで、コペンハーゲンとロンドンで哲学、政治学を専攻され、ロンドン大学で修士号取得、創業したReDは人間科学を基盤とした戦略コンサルティング会社として、文化人類学、社会学、歴史学、哲学の専門家を揃え、コンサルティングを行なっているとのこと。

「AI時代、目の前の課題を読み解くにはアルゴリズム一辺倒ではなく、哲学、歴史学、文学、人類学などの人文科学が重要である。新しい時代のリベラル・アーツの可能性を探る。」(当のシンポジウムチラシより)

金にならない学問の代名詞のような史学専攻卒業生としてはジワジワくるキャッチコピーではありませんか!
ちなみに、私の大学時代の専攻は東洋史、その中で中東史研究のゼミにおりました(何年前というのは言わないけれど、ずいぶん前)。卒論テーマは大航海時代前夜の地中海商船の発達とかいう壮大なものだった記憶が…仕上がりの学問レベルはともかく、知らない世界を調べて、自分なりに紐解いて、検証して、形にしていくプロセスは今でも楽しい思い出です。歴史を学んだおかげで、今でも中東関係のニュースを少し深く理解できていると思うし、ビジネスで日本の企業が海外に出た時に、その進出先の歴史をきちんと理解しておくのは成功のために重要なことだと思いますし、歴史学ってちゃんと現代にも未来にも役に立つ学問なんだけどなあ、だって時間は繋がっているじゃない?などと、世の「歴史は実践的じゃなくて、お金にならない学問」という評価は不当だと密かに思っているわけです。(しかし、まあほぼ理解はされないので、口には出さないが)
なので、このシンポジウムこれは行かねば、ということで、立教大学へ。

Big Data(ビッグデータ)とThick Data(厚いデータ)

マスビアウ氏、大体5年前くらいから社会の常識がテクノロジーによってひっくり返された、との現状認識を示します。世界の全ての事象がハードデータによって表すことができるとされる時代になった、と言われるようになった。”Physics is easy, Sociolgy is hard (物理学はたやすく、社会学は難しい)” と言い切る。…まあ、私にとっては高校レベルの物理も全然たやすくなかったけど(汗)。物理、簡単、ということでそこはこだわらず、先に進みましょう。

 

しかし、その認識は正しいのか?ビッグデータと言われる数値化された情報はそもそも身の回りで起こっている全ての事象を表現することができるのか?

 

森の中で赤い車を止めて、木の根元で何やら作業するおじさんの写真がスクリーンに投影されます。

 

「この写真をビッグデータ的に表すとどうなるでしょう?位置情報、時間、男性の年齢、車種などがそれに当たります。」

「それに対して、画から読み取れることを列挙してみます。この場所はLizard Head Peasというところの近くで、男性は豊かな自然に恵まれた場所に遊びに来たようです。森の中で何かしています。楽しそうに見えます。こうした情報をBig dataに対して、Thick Data(厚いデータ)と呼ぶことにします。」

 

このThick data(厚いデータ)こそが数値化されないけれど、そこに起こっている事象を正確に捉えるのに必要なものだ、と説きます。厚いデータを得るためには人文科学的なアプローチが欠かせない、と。
自然科学的アプローチは”What(何)”と”How(どのように)” を解明しようとする学問であり、その課題の不確実性は低い。対して、人文科学的アプローチは”Why(なぜ)”を明らかにしようとし、その課題の不確実性レベルが高いとマスビアウ氏は言います。人々は日々の暮らしの中で生きていて、それを社会の全体像として読み解くのが人文科学の役割と続けます。つまり、実証するのがより難しい問いに対し、どのようにアプローチするかという挑戦を続けてきたのが哲学や歴史学や文学などの人文科学であるということなのでしょう。

 

そもそも、人間は個として確立しているのか?
ー人間はそれを取り巻く世界によって定義されている。

 

人間は自分の求めるもの、必要なものをわかっているのか?
ー人間は自分自身のことを理解しきれていない。意図していること、想像していることを実行することも稀である。

 

人間は自分の行動を正確に言い表すことができるのか?
ー人間の記憶は曖昧なものだ。

 

例えば、マーケティングリサーチなどは「人間は個として確立している」「人間は自分の求めるものがわかっている」「人間は自分の行動を正確に言える」という前提で組み立てられている。けれど、そもそも人間は不確実なものである。そこで得られたデータは事象の全体像を捉えきれているのか?とマスビアウ氏は疑問を呈します。データだけで結論を出すことそのものが不確実なことになります。人間は発した言葉の意味だけで理解するわけでもありません。リサーチ結果をより生きたデータにするためには、言葉以外の情報ー声のトーンやリズムなどを先入観なしに「聴き」、集めたデータにその調査者が全身で感じたことを加えて最後に見直すことだ、と説きます。注意深く聴くことで、より深く理解することができるはず、と。

 

こうした話のあと、マスビアウ氏からは事例の紹介がされました。レゴとアディダスのマーケティングの事例、末期ガン患者がデータで算出された余命以上に長生きした件、高価で高性能な医療機器よりも安価でベーシックな医療機器の方が、医療者が注意深く患者を診る事例など。

 

リアルな生活や命は定義しづらく、取り扱いが面倒なもの。それを解き明かしていくのが人文科学的アプローチ。
こうした考え方に基づいて、マスビアウ氏はデータサイエンスなど理系分野で学び、働く人に対して、人文科学的なアプローチを教えているそうです。

 

ミュージアムは正に「センスメイキング」な場

博物館はそこに収められた収蔵品に対して、まさしく「センスメイキングな」アプローチをしているのではと思います。歴史系のミュージアムで収蔵している古文書は内容を読み解いて研究されますし、紙の材質や字体などを科学的に解析したりもします。科学博物館では自然科学の事象を子供でもわかるように、展示方法を工夫したりします。

自然科学と人文科学を融合させて、情報を提示する、全体像を伝えるのがミュージアムがミュージアムである所以。AIなど、テクノロジーが発達している今だからこそ、そこにより大きな社会的役割があるように思います。
マスビアウ氏は哲学などの人文科学の方法論などを自然科学の人に伝えているわけですが、ミュージアムの運営に携わる人々はそれとは逆に、人文科学の人間として、急速に発達しているデータサイエンスや自然科学的アプローチを学んでいくといいかもしれません。

変化している現代、ミュージアムは学問の垣根を超えて、社会の事象をより重層的に、大きく捉えていくためには自然科学と人文科学、この2つの方法論とその違いをより深く理解し、世に提示する役割を果たすことができるはずです。

 

現代学問のルーツと言える古代ギリシャでは、哲学や数学は世界を知り、理解するために生まれました。
その哲学と数学がAIを媒介として再び出会うような時代に生きているのかと、なんだか感慨深い気持ちになりました。

最新情報をチェックしよう!