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プロフィール

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「ブログのプロフィール記事はとっても大事です」

「ブログ プロフィール」なんてちょろっと検索するだけでいっぱい結果が出てきますね。ストーリーが大事、ブログを始めたきっかけは、とか。うん、そうだよね、そうかそうか、じゃあ書かないとね。
…と、一応手を付けるものの、筆もといキーボードは進まず。。。

自分語り、超ニガテ

思い返せば、ものを書くのが好きになる前の子供のころから、自分のことを書くのは苦手でした。小学生の時はとにかく作文嫌い。本を読むのは好きだけど、読書感想文は苦行。中学生になって、急に学校の作文や小論文が苦にならなくなったのはなぜなのか?
一応自己分析すると、多分自分のこと、自分が思ったことを書くのが苦手だったのではと今は思うわけです。小学生が書かされる作文って、遠足に行きました、とか、何かイベントごとがあった時に書けって言われますね。おにぎり食べてー、山に登ってー、雨が降ってきてー、寒かったです…それ、知りたい?と書く前から疑問がわいちゃうわけです。読書感想文はすごーく面白かった本であればあるほど書けない。自分が感じたことをちゃんと表現できる言葉が見つからなくて子供心に辛くなるわけです。結局、七転八倒しながら、つまらない話をダラダラ書いて、なんとか字数が足りるように原稿用紙を埋めて提出、以上!という悪循環を何年も繰り返します。

原稿用紙の上が自由になった

それが中学生になったら急に書けるようになりました。書くのが辛くならなくなったというべきか。
振り返って考えると、中学では「イベント作文」が減ったからだと思うんですね。意見文、調べてレポートみたいな課題が増えて、何かソースやテーマがあって、それに対して自分なりに解決策を考える、みたいな。遠足や運動会などのイベントについて、自分語りを強要されなくなった記憶があります。自由作文でも、身の回りのことではなくて、完全に空想のお話を書いてもOKになったり。小学校のころの文章の縛りから解放されたのが、書けるようになった最大の理由かもしれません。

お金をもらって書く

それ以降は、ものを書くということに苦手意識がなくなりました。むしろ将来書く仕事をしたいな、なんて思うようになりました。

20代後半で銀行員から転職して、博物館の企画・設計を手がけるミュージアム・プランナーになり、企画書やら、パネルの解説文やら、調査報告書やら何やら、色々書く機会があって、お金をいただいて書くという経験を初めてしました。
書く仕事というと、ライターや小説家、記者などが思い浮かぶかもしれませんが、企業の中でも企画系の仕事は書くことが求められることも多いと思います。美麗な文章というよりも、いかに的確に、わかりやすく伝えるかという実務的な「書く」という意味で。書いている本人も、「書いてお金をもらっている」という意識があまりない場合も多いと思いますが、書くスキルがお給料なり、業務委託料なりのお金を生んでいる一部であることは確かです。

お金をもらって書くー仕上がった文章がちゃんと求められるニーズを満たして、読み手に確実に意味や意図を伝えられているか?ということを常に振り返っていくことになります。

タイ暮らしと多言語環境

その後、家族の海外転勤でタイに住んでいる間は育児の合間に現地の日本語情報誌のライターをやったりしました。プランナーのころはだいたい固い文章を書くことばかりだったため、一般の読者にいかに読みやすく、かつ軽妙に書くか、頭をひねりました。主な読者は日本を離れて暮らす日本人。住んでいるこの国のいろんな情報をなるべく早く知りたい、ランチの美味しいお店は?病院はどこなら安心?たまにはちょっと足を伸ばしてレジャーにも行きたい…こんなニーズは日本国内に住んでいる場合と変わりません。違うのは海外にいながら現地の情報をできる限り日本語で、という点です。私の在タイ当時、日本語での情報量は日本国内にいる場合と比べて当然のことながら少なくなるので、そこに強いニーズがありました。現在はさらにインターネットが発達して、情報量は格段に増えたはずなので、状況は変わっているかもしれません。
記事の元ネタは日本語だったり、英語だったりまちまち。英語できているリリースをもとに記事を書くこともあります。リリースだけで不明な点は発信者に英語で電話して確認です。体験取材でレポート書くとすれば、タイ語、英語、日本語と取材先に合わせてあれこれ言葉を使い分けて、というか、ジェスチャー含めてとにかく伝わる方法はなんでも使って聞きたいことをその場で聞きます。遠慮して聞かないと、書くときに情報が足らず困ってしまいます。例えば、訪問先が主にタイ語がコミュニケーション手段の人だったとします。私自身はなんとか聞いて喋るのはできても、タイ語の読み書きはできません。あとで電話やメールで確認、なんていう高度なコミュニケーションができない分、とにかくFace to Faceで会っている間に知りたいこと、疑問点はクリアにしておきたいところです。
多言語・多文化環境で暮らす、働くってこういうことか、と実感しながら、楽しんで書いた経験でもあります。
自分のことを書くのが苦手な私が、子連れ旅レポとか、身の回りネタを書く機会をもらったのもこのときです。日本にいたら、育児ブログなんてまずやらないだろうなーと思います。人の育児ブログを読むのは好きですが、自分で書くとなると小学生のころの原稿用紙のマス目と戦う自分に戻ってしまいそう、とか思ってたわけです。
オファーをいただいて、子連れ旅レポなんて書けるのか私?とやや恐る恐る始めて見たところ、「さあ、今度の記事は君たちの協力が必要だ!」とか言って、子供たちに企画の説明をして幼稚園児と企画会議したりするのは結構楽しいものでしたし、趣味のカメラも撮影に役立ったりして、なかなか順調。また、記事にするぞと思って旅先を眺めると、ただ遊びに行くのとは違う気付きがあったりします。実際書き出してみると、結構あれよあれよと記事は書け、「ああ、もう自分は小学生のころと同じじゃないんだ。成長したんだ。」としみじみ喜びを噛みしめた、のは自分の脳内記憶。タイでのライター仕事は、実は単調になりがちな海外生活の中で、いろんな刺激や出会い、違うものの見方を知るきっかけでした。

広報・PR、マーケティングーエンドユーザーを常に意識して

帰国して、働いた企業でマーケティングや広報の仕事をする機会がありました。日系企業、アメリカ系、ヨーロッパ系外資系企業など、何社か渡り歩きました。そこで新聞や雑誌の寄稿記事を社長にアイデアをいただいて書いたり、企業ブログやSNSのコンテンツ企画やら執筆などを手がけました。ミュージアム・プランナーやライターの時の企画やライティングに、マーケティングも加わり、さらに広報でのメディアリレーションなどの仕事も増えていきました。現在はフリーランスで、外資系企業のマーケティングや広報、ミュージアム向けのマーケティング・広報サポートをやっています。

マーケティングと一言で言っても、関わる企業や組織、携わる業務によって求められる役割やイメージは変わります。ある企業の営業部ではマーケティングとは市場調査とほぼ同じ意味でした。ある企業ではマーケティングはSEO対策やSNS運用などを指す言葉になりますし、別の組織ではマーケティングの役割は営業支援そのものと捉えられます。B2Bなのか、B2Cなのか、その会社の業態や業界によっても「マーケティング」に求められるものはだいぶ変わりますし、実はこれほど企業や組織によって位置付けや捉えられ方が変わってしまう業務もないのでは?と思います。そういう意味では、「マーケティング」という「仕事」は定義が曖昧なまま、とにかく現場は走り、技術は先に進んでいき、さらにそれを追いかける、という状況なのかなと感じています。
自分自身の振り返りのために、改めてその定義を確認してみます。2013年に承認されたAmerican Marketing Association(米国マーケティング協会)の定義が最新で、簡単にまとめると「マーケティングとは広く顧客、パートナー、社会に対して価値あるものを創造し、伝え、提供し、交換するプロセスであり、そのための活動をいう。」となります。日本の動向は?と思って、日本マーケティング協会のウェブサイトを見てみたところ、1990年(!)の情報が少なくともサイト上は最新で、「マーケティングとは、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である。」となってます。(この定義に至るプロセスについての詳細はこちら)日本マーケティング協会の定義は以前のAMAの定義をベースに話をしているので、現状どう捉えているのかはちょっとわからないですが。
どちらにしても、市場創造のための活動、社会にとって価値あるものの創造というのがキーワードなので、それをどう与えられた環境の中で、何を使って、どのように「創造」に対してアプローチして形にするか、進化するIT技術にどうついていって、活用するか、一人一人のマーケターの創造性や革新性が問われている時代ということは確かです。ちょっと気を抜くと新しい技術のトレンドを逃してしまうかもしれないし、それでいて技術だけにとらわれずいかに創造的であるかというベクトルの違うアプローチを求められていると思うからです。

私がマーケティングや広報として働いた企業は全てB2Bの企業でした。クライアントとエンドユーザーが異なる業態です。自分の中では、それはとてもミュージアムの企画の仕事と似ていると思いました。クライアントはミュージアムを作る人・組織ですが、エンドユーザーは来館者。B2Bの企業も同様に、売る先は企業でも、エンドユーザーはその先にいます。私の仕事がそのままエンドユーザーに届くことはありません。書くことも、企画を立てることも、エンドユーザーを常に意識すること、それが色々な仕事をしながらも一貫して続けてきたことかなと思います。

 

夢はちょっとかなったんだね

娘に「ママの夢はなんだったの?」と聞かれたことがあります。小学校高学年だったかな?
夢、夢ねぇ?と考えて、記憶を辿って、強いていうなら原稿用紙が敵でなくなった中学生の時、「何かものを書く仕事がしたいな」と思ったのがそれだったかなと思い当たりました。書く仕事と、自分の知らない、見たことのない世界への憧れと。

「『小説家か翻訳家になりたい』とか言ってたかな?」

「ふぅん、じゃあママの夢はちょっとかなったんだね。」

「?」
…ああそうか。タイでは一緒に体験レポ取材に行ったりしたもんね。出来上がった雑誌記事を見て、面白がっていたっけね。あとゴーストだけど、この日経◯◯に載った記事、ママ書いたよ、なんて話もしたからか。

「そうだね、ちょっとかなってるね。今気づいたよ。」

 

自分のために書くという挑戦

ブログを始めたきっかけは、思えばこの娘との会話だったのかもしれません。夢は「ちょっと」かなった。でも、自分はほとんどずっと職業的書き手で、常にテーマがあり、納期や〆切があって、今やそれがないと書きにくくて仕方がないというくらい、枠が欲しくなります。この制約の中が居心地いいという状態を、一度壊して、書いてみようと思ったからです。スケジュールもテーマも自由、しかし散漫にならず、自分が書き続けられるもの…好きだったミュージアムの仕事、マーケティング・広報、何か組み合わせて、役に立つコンテンツにならないか?

そんな思いで始めたブログです。自分語りが苦手な人間の、一つの挑戦と思っていただいて読んでいただけると嬉しいです。

 

(やっぱり、このプロフィール書くのに一番時間がかかった…書いてるうちに、自分語りも慣れるのかしら?)

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